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ヨガとは何か?

ヨガスートラという経典で明確にヨガを定義しています。
「ヨーガス チッタ ブラッティニ ロータハー」
ヨガとは、心の作用を止滅することである。
これは、サマディの状態を指している。サマディに至る道は8段階の階段になっており、
ヤマ・ニヤマ・アサナ・プラナヤマ・プラッテヤハーラ・ダーラナ・ディヤーナ・サマディ
という道筋でサマディに至ろうとする。まずこの全体像を把握することで、ヨガを進めていくうえで自分がどこの段階に居るのかを確認するための地図として使います。

ヨガスートラの8段階

1 ヤマ

ヤマとは、自分以外のものとの関係を規定した道徳的な心得です。
アヒンサー     非暴力
いかなる場合でも、どんな生き物にも、どんな仕方でも害を加えない。
非暴力に徹すれば、その人のそばではすべての生き物が敵意を捨てる。
サァティア      正直
言葉だけでなく、行動と、心も正直であること。
正直の戒に徹すると、あなたの言う通りの行為と結果が実現する。
ブラフマチャーリヤ  純潔
みだらに性的な関係を持たない。
アスティヤ      盗まない
自分のものでないものを所有しない。
アパリグラハ     どん欲にならない
最小限度の必需品以外はもたないことである。

2 ニヤマ

ニヤマは自分に対する心得である。
サッチァ    清潔  内側も外側も清潔に保つ
すると、サットヴァが優勢になり、照明、幸福などの性向が心の表面にあらわれてくる。
サントーシャ  満足  シンプルな生活に満足して、それ以上をあえて求めない
すると、無上の幸福が得られる。
タパス     苦行  対立する心に耐える。飢えや渇え、寒さ暑さ、立と座など。
スゥワデヤーヤ 読誦  精神世界の知恵を内容としている古典を勉強する。マントラを唱える。
イーシュワラプラニダーナーニ 最高神への信仰 エゴを放棄して自由な魂を解放する

この2部門はヨガをする上での心構えです。
正しく瞑想するには、心は、波のない湖面の様に静まりかえってなけらばならない。
この心構を守ると、心の波が静まります。

3 アサナ 安定した姿勢

安定した姿勢は、心を安定させる助けになります。
身体と心のバランスを取り戻す。
身体の中に意識を置いて、身体に対してより繊細に気づく。

4 プラナヤマ 調気法

呼吸法、バンダ、ムードラ
プラーナ=気というのは、身体のなかと外の世界にある生命のエネルギーであって、カラダもココロもこの気によって動き、はたらくのである。
これをコントロールするのがプラナヤマである。
なので、プラナヤマは呼吸法ではありません。気の制御をするのがプラナヤマであり、その手段として、呼吸法、体内操作、浄化法などがあります。
心を落ち着かせ、静かに平静にする。意識は明瞭に保たれるようになる。
ラマナ・マハリシはプラナヤマをこう説明します。
身体との自己同一化を完全に放棄することが吐息であり、「私とは誰か」という探求を通して内側に消え去ることこそが吸息である。
唯一の実在である真我としてとどまることこそが、止息である。

5 プラッテハーヤ 制感

五感とは、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・皮膚から得る感覚です。
この5つの感覚を、外側でなく内側に向ける。その対象から手元に引き戻す。
目を閉じれば、視覚は内側を向きます。耳の中の音に意識を向けると、聴覚は内側を向きます。
感覚が対象に向かって動こうとするのを引きとめる。
感覚がその対象に結びつこうとする動きを引きとめられて自分ひとりの状態にとり残されると、感覚はあらゆる心理器官の実体である心の模造品のようになる。
五感は心の動きに追従して動くだけになる。
各器官がそれぞれ独立に外界の色、声などの対象と結びつくことを止め、器官と心の働きが一体になっているのが制感の境地である。

6 ダーラナ 精神集中

心を特定の場所に縛り付ける。
意識を集中する。
集中する対象は。なんでもよい。
例えば、ろうそくの火、鼻の先、へそ、チャクラ、耳の内の音や、光の点のイメージ、など。
ただし、選んだ対象物を一点に固定して、集中する。
固定化が安定して、揺るぎないものになっているが、精神集中の境地である。

7 ディヤーナ 瞑想

固定化した対象物が自然に流れる。心はただその自然な流れを平静に観察する。 同一の場所を対象とする想念がひとすじに伸びていくことである。 瞑想は精神集中の延長であって、その間に断絶はない。 精神集中のときと同一の場所を対象とする想念の流れが中断することなく、一筋に伸展していって瞑想に転入していくのである。 精神集中は集中的であるのに対し、瞑想は拡大的である。 精神集中のねらいが、なるべく狭い範囲へ注意の焦点を決めて、その対象を明瞭に意識に載せる操作であるのに対して、瞑想のねらいは、精神集中の修習によって得た明瞭な意識をすべての瞬間に持ち続けながら、対象についての想念の流れを段々と広げていくことである。 思考の型からの解放 人には決まった思考パターンがあり、強固にエゴを固めています。 この思考パターンからの解放が、瞑想の試みです。

8 サマディー 悟り

瞑想の流れが、その思念する客体ばかりになり、自体を無くしてしまったようになった時が、サマディと呼ばれる境地である。 サマディ=直感。 サマディは五感の働きを介せずに、純粋な思考だけで得られた直感なのである。 心理学的にいえば、主観の存在が忘れられて、客体だけが意識を占有する状態である。 瞑想の流れが、客体と主体が融合したときに起こる。 初めの定義に戻ると、心の作用が止滅され、サマディが起こる。 そこに、対象物はなく、主観は真我しか写さない。 その境地が目標です。
ハタヨガは初めに肉体に注目します。
肉体は魂の乗り物であり、存在し行動します。
心を浄化するためには、はじめに肉体を浄化する必要があります。

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